男って奴は・・
2001年10月24日ホームレス日記「人生すっとんとん」福沢安夫を、読んだ。
タイトル通り、上野でホームレスをしていた人の話を聞き取った
日記風の読み物だったんだけど、「なんで男ってこう、読みが甘
いのだろう」とつくづく思った。
作者(話の提供者)は既に亡くなっているので、余り鞭打つような
事は言いたくは無いが、それでもやっぱり言いたくなる。
新婚地代から浮気に明け暮れ、借金で家を取られる羽目になり、
家族がいるのに仕事を次々にやめ、別居。一銭も家に入れず、
帰るのは金の無心の時ばかりになり・・・離婚。
ここまではいい。誰にでも、魔が差したり悪いことが重なったり
することはあるもの。反省して明日に繋げればそれはそれで有意義
だったということでしょう。
でも、信じられないのは、その後の行動だ。
離婚した妻に、まだ金の無心に行くのよ。
「もう、他人なのよ」と言われて金を渡されて、それでもなお
電話を入れたりしている。
「今度テレビに出るんだ」と言ったら奥さんは「そうなの」と言った
だけだったそうだ。
夫婦の間は完全にさめていたから、そういうものだよ。案外簡単なんだ。
なんて書いてあるのを見て、この男性の甘さに涙がでそうになった。
新婚旅行後、妻の家に帰らずに愛人の元に行くような男。
さんざん苦労させられて、多分とうに涙が枯れた妻は、とっくの
昔に元夫を切ってしまっているのだ。
そんな男、本人は淋しいのだろうし、困ってもいるのだろうけど、元妻に
とってはいつまでも切れない悪夢みたいなものなのじゃないだろうか。
そして娘に対しては「娘の結婚式に堂々とでたい」「その内
娘の結婚相手が挨拶にくるかもしれない」なんて言ってるんだよね。
なんでここまで、都合のいい夢をみられるのだろう。
多分、彼が生きていたとしても、その日は来なかったと思う。
娘さんは、母親の苦労を知っているし、父親不在の意味もしっているだろうから。
保護者の責任を放棄したものを、子供だって見限るのだ。
絆は、双方向から結ばれるものであって、命の提供者だからと自動的に
育まれる物ではない。
情が残ってはいても、恨みは消えない・・残念ながらね。
読み終わって、胸の辺りが苦くなった。
タイトル通り、上野でホームレスをしていた人の話を聞き取った
日記風の読み物だったんだけど、「なんで男ってこう、読みが甘
いのだろう」とつくづく思った。
作者(話の提供者)は既に亡くなっているので、余り鞭打つような
事は言いたくは無いが、それでもやっぱり言いたくなる。
新婚地代から浮気に明け暮れ、借金で家を取られる羽目になり、
家族がいるのに仕事を次々にやめ、別居。一銭も家に入れず、
帰るのは金の無心の時ばかりになり・・・離婚。
ここまではいい。誰にでも、魔が差したり悪いことが重なったり
することはあるもの。反省して明日に繋げればそれはそれで有意義
だったということでしょう。
でも、信じられないのは、その後の行動だ。
離婚した妻に、まだ金の無心に行くのよ。
「もう、他人なのよ」と言われて金を渡されて、それでもなお
電話を入れたりしている。
「今度テレビに出るんだ」と言ったら奥さんは「そうなの」と言った
だけだったそうだ。
夫婦の間は完全にさめていたから、そういうものだよ。案外簡単なんだ。
なんて書いてあるのを見て、この男性の甘さに涙がでそうになった。
新婚旅行後、妻の家に帰らずに愛人の元に行くような男。
さんざん苦労させられて、多分とうに涙が枯れた妻は、とっくの
昔に元夫を切ってしまっているのだ。
そんな男、本人は淋しいのだろうし、困ってもいるのだろうけど、元妻に
とってはいつまでも切れない悪夢みたいなものなのじゃないだろうか。
そして娘に対しては「娘の結婚式に堂々とでたい」「その内
娘の結婚相手が挨拶にくるかもしれない」なんて言ってるんだよね。
なんでここまで、都合のいい夢をみられるのだろう。
多分、彼が生きていたとしても、その日は来なかったと思う。
娘さんは、母親の苦労を知っているし、父親不在の意味もしっているだろうから。
保護者の責任を放棄したものを、子供だって見限るのだ。
絆は、双方向から結ばれるものであって、命の提供者だからと自動的に
育まれる物ではない。
情が残ってはいても、恨みは消えない・・残念ながらね。
読み終わって、胸の辺りが苦くなった。
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